河井せん廬先生印存・2冊/限定1450部/小林斗アン協力・西川寧文/呉昌碩に師事/定価20000円/金石学に基づく篆刻を日本に啓蒙しその発展に尽力
昭和51年 限定1450部 上下2冊
おしらせ
昨春計画を発表して以来一年有余、ようやく「せん廬先生印存」を お手元にお届け致します。刊行が大変遅れ読者の皆様方には御迷惑 であったこととおわび申し上げます。編集後記にもあるように、その総ては内容の完璧を期せんがためであります。御読下さい。
また、当初限定千部の出版を予定し、そのように発表しましたが、予約の段階でこの予定数を越えてしまい、千部の出版ではとうてい 皆様方の御希望に応えることができなくなってしまいました。そこで尚友会の同人諸氏とも相計り、千五百部に加刷して御希望に応え ることと致しました。重ねて御読想を願う次第です。 昭和五一年三月一五日
尚友会
株式会社 二玄社
郭沫若氏は嘗て日本に在住の頃河井先生と親しくした。郭氏の石鼓研究の底本となった、か の三井氏所蔵の安氏旧蔵本の写真などは河井先生から借りたことが、郭先生の文中にも書かれ ている。私も最初河先生の介紹によって郭先生を識った。こんなえにしで郭氏に封面の題字をお願いした。去昭和三十六年、第二次訪中書道団が上海に行ったとき、故呉倉石翁の高弟で上海藝苑の大家である王小暮氏にお目にかかった。同氏の口から図らずも河井先生の名が出た ので、聞いて見ると、会面の機はなかったが、呉翁が河井慮は大へんすぐれた人だから機会があったら一度会って見るようにと言ったという。呉翁は先生が三十代から師事した人だが、翁はそんなに先生を推重していた。こんなわけで、私は王氏に印譜への題辞をお願いした。日本人で先生に親交を結んだ人々は皆故人となっているので何もお願い出来なかった。
この印譜は先生の若冠にはじまって晩年に到る総数800面を含んでいる。今見得る先生の刻印のほぼ全貌を網羅したといっていい。この印譜の編集を終えてつくづく思うことは、先生の刻印が日本の印学史上の観止であること、また中国と日本を通じて近世の印学の別職であるということ。これを有道の覧に呈することが出来たことを幸栄とする。
昭四十九年十二月
西川 寧謹識
河井藤せん廬先生の印譜が完成してほっとしている。長年の重責をやっと果せたというわけである。先生は昭和二十年、七十四歳でなくなられた。それからちょうど三十年である。印譜を作 らなければと思い立ったのはいつのことか。二十四年の暮、「書品」が創刊された時から、毎号 「先生の刻印を載せ、解説を書いて十六回に及んだ。その第一回の解説の中で、私は印譜を出し 「たい希望を書いている。それから見ても二十五年となる。私としては大きな感慨である。
印譜の資料となる原印の探訪や印影の蒐集については、実に多くの人々の協力を得た。最後にはその数800面に到ったが、これは偏に同好の諸賢、または嘗て先生に親炙した同門の諸君の協力によるものである。
一人の作家の書画の譜録や印譜は、作の年代によって編年することが、作風の変化を理解するために必要な条件であると考えるので、この印譜も編年することになる。だが刻られた時が明瞭なのはむしろ少いので、いきおい比定によることが多くならざるを得ない。このことで私は長らくなやんで来た。あたかもこの春から小林斗アン君の協力を得て、やっと編集を完了す ることが出来たのは幸である。
河井せん廬は、近代日本の篆刻家である。中国に渡り呉昌碩に師事し、金石学に基づく篆刻を日本に啓蒙しその発展に尽くした。
新品ですので傷・黄ばみ・破れ・折れ等経年の汚れはあります。外箱傷,小汚れ、破れ。ご理解の上、ご購入ください。 もちろん読む分には問題ありません。
なお細部に至るまではチェックしきれない場合がありますので、書き込み・線引き・記名・蔵書印・値札等ある場合があります。ご理解の上、ご購入下さい。
カテゴリー:
本・雑誌・漫画##本##アート・デザイン・音楽